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神戸地方裁判所 昭和45年(ワ)1306号 判決

原告 川元文夫 ほか一名

被告 国

訴訟代理人 丸尾芳郎 前垣恒夫 ほか三名

主文

一  被告は原告らに対しそれぞれ金二九七万三一七二円及びこれに対する昭和四五年一一月二五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事  実 〈省略〉

理由

一  本件手術と貞雄の死亡の経過

請求原因一の事実は当事者に争いがなく、この事実と〈証拠省略〉を総合すると以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  貞雄は、右股関節ペルテス氏病の治療のため神大病院整形外科に入院して後、昭和四五年一月一六日マスク麻酔による全身麻酔で患部の関節造影術を受けたが、この全身麻酔法では気管内挿管を要しないため後述する筋弛緩剤は全く使用されなかつた。ところで右関節造影術の術後三九度四分の発熱をみたが、翌々日までには三八度前後の従前の熱型に戻り、他に異常はなく、主治医の大野医師らにおいて右造影所見を検討したところ、右股関節が亜脱臼の状態にあつて将来変形性関節症へ移行することが予想されたので、全身麻酔下で本件手術(腸骨前上端の一部を切り取り臼蓋を拡大して亜脱臼部位の改善を図ることを目的とするソルター式骨盤骨切術)を行うことに決定し、麻酔科に対し全身麻酔の依頼をした。本件の麻酔指導医となつた麻酔科講師の森川医師は、同科研修医の岩崎医師を担当医に指名し、岩崎医師は手術前日貞雄の全身状態を診察し、カルテ、前回の全身麻酔記録等を検討した結果、今回の全身麻酔に支障となる異常所見を認めなかつたので、麻酔及び手術に関する危険度の最も低い「リスク1」(患部以外の全身状態が正常人と変りがないと考えられるもの)と判定し、看護婦に対し前投薬の指示を与えた。

(2)  貞雄は、手術当日の朝も異常はなかつたので(体温は三六度四分)、看護婦は、前記指示どおり午前一〇時半の手術開始予定にあわせて鎮痛剤アタラツクスP、気管分泌抑制剤硫酸アトロピンの各投与をしたが、手術開始時間が遅れ、午前一一時四五分あらためて右硫酸アトロピンの投与をして貞雄を手術室に移送した。岩崎医師は、午後零時二〇分笑気、酸素、フローセンのマスク麻酔を開始し、数分後気管内挿管を容易にするべく代表的な脱分極性筋弛緩剤であるサクシニルコリン二〇ミリグラムを静脈注射し挿管を試みたところ、全身性の筋強直を起し開口不能であつたため、直ちに同量のサクシニルコリンを追加投与したが、筋強直に変化がなかつた。そこで作用機序の異なる非脱分極性筋弛緩剤のデイアルフエリン五ミリグラムを投与したところ、数分にして筋がやや弛緩し開口が可能となつたので挿管し、笑気、酸素、フローセンを吸入せしめて全身麻酔を維持した。午後零時四五分大野医師執刀の下に手術が開始されたところ、血液の色がどす黒かつたが、適正換気の維持により間もなく改善をみた。

ところが午後一時五分項それまで安定していた血圧が急に下降し、再び筋強直が発現したため、森川指導医の指示により、フローセンを切つて麻酔剤を笑気、酸素のみとし、調節呼吸、輸液を盛んにするとともに前記同量のデイアルフエリンを投与した結果二、三分して血圧と筋状態は改善された。その頃森川医師は他の患者の巡回のため本件手術場を離れたが、年後一時二五分頃に至つて再び血圧が下降し、脈拍も減少し始めたため、岩崎医師は、笑気も切つて麻酔剤の吸入を一切止めたが、その約一〇分後貞雄の体が熱いのに気がつき、直ちに看護婦に対し、氷、電気体温計を持つて来させ、森川医師に急ぎ来診するよう連絡させるとともに、アルコール綿花で体を冷却し、桔抗剤硫酸アトロビン〇・二ミリグラム、メイロン二〇ミリリツトル、ソールコーテフ一〇〇ミリグラムを投与した。午後一時四五分頃来診した森川医師は、診断の結果、直ちに悪性過高熱の疑いがあると判断し、ほぼ皮膚縫合を残すだけの段階に至つていた手術を中止させ、体温(食道温)を測定させたところ四二度の高熱があつたので、即刻全身を氷で覆つて冷却を始めたが、午後一時五五分頃心停止を起した。

そこで即時開胸して心臓マツサージを行い、数分にして心拍が再開し、体温も下降して午後三時五分頃より三五度前後を推移したが、この間自発呼吸、体動はなく、人工呼吸で呼吸管理を行い、午後三時三五分残つていた皮膚縫合を行つて本件手術を終了した。しかしながら意識消失はなおも持続し、病室へ移送後も人工呼吸、昇圧剤、利尿剤の投与、輸血等の加療を続けたところ、一時的に自発呼吸、対光反射をみたがこれも間もなく消失し、次第に全身状態は悪化し、翌日午前一一時三五分脳循環不全、心停止により死亡するに至つた。

二  貞雄の死亡原因について

〈証拠省略〉を総合すると、悪性過高熱は、麻酔手術中に突然異常な高熱を発し悪性の転帰をとる症例であつて、これが麻酔学者による研究の対象とされたのは比較的最近で過去一〇年間位のことであり、その発生原因は、現在もなお完全に究明し尽されているとはいえないが、一般には、ハロセン、メトキシフルレン等の吸入麻酔剤、脱分極性筋弛緩剤サクシニルコリンが誘因となつてある特定の体質をもつた患者の体内で生化学的変化を起すことによつて発症する薬物遺伝学的疾患と考えられており、麻酔手術中の悪性過高熱の発生頻度は、小児で一万五千回の麻酔に一回、成人で五万回の麻酔に一回位であるが、その死亡率は六〇ないし七〇パーセントの高率であること、右発症誘発薬剤に異常に反応する体質は同一家系でも家族により多少異なる現われ方をするものと考えられていること、貞雄の家系で本件手術より前に麻酔手術を受けた者としては、貞雄の父である原告文夫のほか父方では父の弟訴外元川清則と妹一名がおり、母方では母の従姉妹二名がいるが、原告文夫は蓄膿症手術の局所麻酔、訴外清則を除く他の三名は虫垂炎手術の腰椎麻酔であつていずれも異常はなかつたが、右清則は死亡していること、すなわち同人は昭和三二年一二月に腰椎麻酔により異常なく虫垂炎手術を終了したが、その後本件手術の五か月余前である昭和四三年八月八日全身麻酔による回腸部癒着性レイウスの手術を受けたところ、筋弛緩剤サクシニルコリンの投与後全身性筋強直、挿管困難があり、さらに体温の急激な上昇(四一度八分)が現われ、全身状態の悪化を経て脳循環不全、心不全により死亡したものであつて、その経過は貞雄の本件手術の場合と酷似していろこと、以上の事実が認められ、他に反証はなく、貞雄の本件手術に先立つて施行された全身麻酔の股関節造影術においてはサクシニルコリンが使用されず、かつその際には特に異常はなかつたことは前認定のとおりである。

右事実によれば、全身麻酔の筋弛緩剤サクシニルコリンが投与された結果これが貞雄の先天的な体質に異常に反応して悪性過高熱が発現し、ひいて死に至つたものと推認するのが相当である。

三  担当医師の過失の有無について

原告らは被告の責任原因として不法行為責任と債務不履行責任を選択的に主張しているので、まず不法行為責任の成否について判断することとし、その前提として、貞雄の本件手術に関与した医師に原告ら主張のような過失があつたかどうかを検討する。

(一)  まず麻酔担当医の過失の有無について検討する。

およそ麻酔は患者の手術時の 疼痛、精神的不安、恐怖を除去し、手術者をして手術の全経過を通じ手術に専念せしめるための手段であり、麻酔の進歩は各科の手術の発展に寄与するところが大であるが、近代的大病院において全身麻酔を必要とする手術にあたり、特に独立した専門医としての麻酔医を関与させ、麻酔施用について術前、術中、術後を通じ患者の全身状態を管理させ、患者の生命の危険に対処させることとしているのは、全身麻酔はこれを受ける患者に対し刻々の生命を支配する中枢神経系、呼吸系、循環系等に変化を及ぼし絶えず死に至らしめる危険を包蔵しているためにほかならない。かかる専門医の特質に照らせば、現代医学の最高水準の医療技術が期待され、要求される国立大学医学部附属病院において麻酔科所属医師として麻酔業務に携る麻酔担当医としては、特定の麻酔剤ないし麻酔補助剤を投与して全身麻酔を施行することにより患者の身体に重大なシヨツク、副作用が発現し、その生命に危険のあることが予知できる事態が生じた場合においては、かかる危険を未然に防止するため万全の措置を講ずべき高度の注意義務を負うものと解するのが相当である。

そこで、本件の場合、具体的に麻酔担当医がいかなる注意義務を負担しているかを考察するに、〈証拠省略〉によれば、悪性過高熱については、それを誘発する薬剤に対して異常に反応する体質を予知する科学的検査方法として、現在においては研究の結果血奨の特定の酵素(CPK)、筋生検により使用麻酔剤の反応検査をすることが一応考えられているが、右検査でたとえ陰性の結果が出ても異常反応を呈する場合があり科学的検査法として完全な方法とはいえず、他に的確な科学的検査方法はないことが認められるから、昭和四五年当時において本件麻酔医がこのような異常反応体質に対する術前の科学的麻酔適応検査をすべき注意義務があつたとは解し難い。

しかしながら、〈証拠省略〉によれば、麻酔剤等によるシヨツクや副作用は理学的検査や臨床検査だけでは予知できないものが多いことが認められるから、麻酔担当医としては、麻酔前に患者ないしその付添人に相当な問診をなし、患者及びその血縁者のアレルギー体質、既往における使用薬剤の異常反応の有無、麻酔施用の有無等前述のような麻酔事故の危険性の判断資料を収集し、そのうえで適切な麻酔計画をたてる義務があるというべきである。しかるに、〈証拠省略〉を総合すれば、貞雄の主治医である大野医師は、入院当日貞雄を診察した際、当時七歳の同人に付添つてきた母親の原告カ子ヨに対し整形外科的見地から血縁者の外科疾患の既往歴の有無を尋ね、貞雄の母方の兄弟には先天性股関節脱臼、ベルテス氏病の既往歴のある者はないとの結果を得たが、父方の血族については、特記事項なしとして特に血族関係についてカルテに記載しなかつたところ、岩崎医師は、右カルテの記載を参考にして本件手術の前日、貞雄の付添人原告カ子ヨに対し、血縁者に薬剤アレルギー等異常者があるか否かを確認するためのごく簡単な質問をしたにとどまり、前述の所要事項について父方、母方の各血縁者毎に個別的、具体的に発問するととなく、前認定のごとく関節造影時の全身麻酔記録の検討と全身状態の診察をしただけで「リスク1」の判定をし本件手術の麻酔方針を決定したものであることが認められ、他にこの認定を左右すべき証拠はない。そうして前述のとおり、貞雄の父方の叔父が本件手術のわずか五か月余前に現代医学においては左程困難とは考えられない癒着性イレウスの麻酔手術中に死亡しているのであつて、この事実は、原告らにとつて記憶に新鮮な身内の出来事であり、医師に対してその告知を憚るような事柄とは考えられないから、岩崎医師において具体的、個別的に発問しておりさえすれば右事実の告知は容易になされたと推認される。そうとすれば、岩崎医師は、この点において麻酔担当医に要求される義務に違背したものといわなければならない。

被告は、岩崎医師が現に行つた以上の問診方法を求めることは難さを強いるものであると主張し、〈証拠省略〉は、麻酔前の問診においては通例岩崎医師のような発問方法が行われている旨証言するが、仮にかかる慣行があるとしても、注意義務の内容存否は法的判断により決すべきであつて、問診は被問診者の理解・表現能力、性格等の個人差あることを前提として病歴調査その他所定の結果を得ることを目的とするものであるから、問診者たる医師においては、個々の被問診者のかかる個人差を正しく把握したうえで、それに応じて相当な方法を講ずべきである。その主張は採用できない。

そこで、岩崎医師において相当の問診をし、貞雄の近親者である訴外清則の全身麻酔中の死亡の事実を確知していたならば、貞雄の場合悪性過高熱ひいては死という危険の発生を予見し、それを回避し得たか否かについては検討を進める。

〈証拠省略〉によれば、悪性過高熱については昭和四五年当時医学生用の一般的な麻酔学教科書にその記述がなく、臨床研修医であつた岩崎医師も右症例そのものの知見を有しなかつたことが認められるが、他方〈証拠省略〉によれば、神大病院麻酔科には、昭和四五年当時、日本麻酔学会認定の麻酔指導医の資格を有する教授、助教授、講師三名のほかに非常勤医、研修医等が二〇名前後おり、他科から麻酔依頼がある毎に右三名のうちから指導医一名が定められ、当該指導医においてケースに応じ担当医一名を指名し、担当医は指導医と常に密接に連絡をとりその指導監督を受けながら麻酔業務を行うこととされていたことが認められ、岩崎医師が担当医となつた貞雄についてその叔父である訴外清則の前述のごとき死亡の事実が判明していれば、岩崎医師において直ちに指導医の森川医師に相談しその助言を求め右訴外人のカルテを取寄せて検討しその上で貞雄の本件麻酔計画をたてたであろうことは、〈証拠省略〉が明確に証言するところである。そして〈証拠省略〉によれば、悪性過高熱の原因、予防法の研究については、その歴史が比較的浅いとはいえ、昭和四五年当時もかなりの研究成果、例えば全身麻酔用の脱分極性筋弛緩剤サクシニルコリンが誘発薬剤であること、家族ないし近親者間に多発すること等が内外の医学専門雑誌等に発表されており、森川医師は、昭和四二年から同四四年までアメリカのピツツバーグ大学に研究員として留学中かかる悪性過高熟の二、三の症例を自ら経験し、また文献に発表された前記研究成果もその都度吸収していたこと、森川医師はそのゆえにこそ前認定のごとくいち早く悪性過高熱の疑診を下してその処置をしたものであり、本件事故後家族性を追跡するべく岩崎医師らに貞雄の家族歴の詳細な調査と訴外清則のカルテの検討をなさしめ、その結果として前述のごとき同訴外人の全身麻酔中の死亡の事実が判明したこと、森川医師が岩崎医師から事前に訴外清則の右死亡の事実の報告を受けていれば、本件手術に際しては、全身麻酔を回避して腰椎麻酔の方法を選択するとか、筋弛緩剤サクシニルコリンの使用を止めて笑気静脈内麻酔剤等を使用するよう指示していたであろうこと、以上の事実が認められ、右認定に反する的確な証拠はない。

以上の認定事実によれば、貞雄の死亡は、被告の主張するごとき不可抗力による偶発的な事故と認めるべきではなく、岩崎医師が麻酔担当医として要求される注意義務を尽していたならば右のような結果の発生を予見し得、かつそれを回避し得たものというべきであり、森川医師の過失は暫く措くとして、少なくとも岩崎医師には貞雄の死亡について過失があるものといわなければならない。

(二)  なお付言するに、原告らは、さらに本件手術に関与した医師の二、三の過失を主張しているが、いずれも採用できない。すなわち

前認定のような受診時からの経過、関節造影の所見、術前の状態等からみて、主治医が麻酔方法はともかく本件手術の施行そのものを適当と判断し、これを実行したことは適切な医療行為というべきであるし、また本件手術中に輸血をした事実はなく、術後蘇生術の一環として輸血したものであることは前認定のとおりであり、その血液型の判定に誤りのないことは〈証拠省略〉により明らかである。

次に、手術中の全身状態の変化に伴う処置の適否についてみると、〈証拠省略〉によれば、麻酔医は全身麻酔中患者に代つて息者を最も良好な生理的な状態に維持するよう油断なく監視を続け、必要に応じ主治医に手術の中止を求めるべきであるが、麻酔中の筋強直、血圧の下降、体温の上昇、血液の色の悪さ等の症状はしばしば発現し、かつその原因も多岐にわたるから、麻酔医としては、まずその原因の究明と除去に努めるべきであつて、手術の中止は全体的な状態から総合的に判断すべきであること、悪性過高熱の診断がついた場合には、即刻あらゆる手段で冷却するとか、アシドージスを補正するとか、筋強直を止める等の処置を精力的に講ずべきであり、この点は現在も昭和四五年当時も同様であるが、悪性過高熟の診断には、現在でも、本症に特徴的な急速な体温上昇が始まつてから三〇分以上要することが多いことが認められるところ、本件においては、二度にわたる筋強直、血液の色の悪さ、第一回目の血圧降下については、前認定のとおり対応処置によつて一応いずれも改善をみたのであるから、この時点で全身麻酔を継続した判断に誤りはなかつたと認められるし、さらに二回目の血圧の下降、体温の上昇については、その直後に悪性過高熱と診断して処置をとつていれば一層適切であつたといえるにしても、さきに認定したその後の経過に前記認定事実を併せ考えれば、本件麻酔医は昭和四五年当時としては早期発見と適切な処置がなされたといえる旨の〈証拠省略〉を採用すべきである。この点の過失をいう原告らの主張は採用の限りではない。

四  被告の不法行為責任について

岩崎医師は、国家公務員ではなく、神大病院麻酔科の研修医であるが、かかる臨床研修医は、医師国家試験を合格した者が大学病院又は指定研修病院において二年間臨床研修を受け、この間国から研修手当の支給を受け、右研修を行つた旨厚生大臣に報告されるのであつて(医師法一六条の二、三)、岩崎医師は、国家公務員たる森川医師(この点は当事者間に争いがない。)より本件の麻酔担当医として指名されその指導監督の下にかかる臨床研修の一環として、本件手術に関与したものであるから、岩崎医師は事実上被告と実質的な使用関係にあり、かつ被告の設置する神大病院における医療業務を委託されこれを執行するにあたりその過失により貞雄を死に至らしめたものとみるに妨げない。従つて、被告は、民法七一五条に基づき、貞雄の死亡によつて生じた損害を賠償すべきである。

五  損害について

(一)  逸失利益

〈証拠省略〉によれば、貞雄は昭和三七年六月五日生れ死亡時満七歳の健康な男子であつたことが認められるから、貞雄は本件手術によつて死亡しなければ満一八歳から平均余命六二・六八年(厚生省第一二回生命表)の範囲内で満六三歳に至るまでの四五年間にわたつて稼働し、その間新高卒全産業常用男子労働者の平均賃金を下らない収入を得て、その二分の一程度を生活費に支出したものと推認するのが相当である。そして賃金センサス(昭和四五年版)によれば、右平均賃金は年額金五一万二四〇〇円(一か月きまつて支給する現金給与額が金三万八四〇〇円、年間賞与その他の特別給与額が金五万一六〇〇円)であるから、これを基礎として貞雄の右逸失利益の死亡時における現価をホルマン式計算により算出すると、次の算式(円位未満切捨、以下同じ)

512,400円×(1-0.5)×(26.3354-8.5901)= 4,546,345円により金四五四万六三四五円となる。ところで原告らが貞雄の実父母であつてその相続人の全部であることは当事者間に争いがないから、原告らはそれぞれ右逸失利益の賠償請求権をその二分の一に相当する金二二七万三一七二円宛相続により取得したものというべきである。

(二)  慰藉料

原告らが我が子を失つたことにより測り知れない精神的苦痛を受けたことは、〈証拠省略〉より明らかである。しかしながら、原告らが岩崎医師らから問診を受けた際訴外清則の麻酔手術中の死亡という事実をすすんで正確に告知していたならば貞雄の死という結果は避け得た蓋然性が高いことは前認定事実より明らかであつて、およそ、疾病の治療が患者の生物体として有する自然治癒力を利用した医師と患者の共同作業という性格を持つ以上、担当医師には前述のごとき注意義務が課せられる反面、被問診者たる患者ないしその付添人にはこれが協力義務を負うものと解すべきであるから、これを怠つた点は原告らの慰藉料算定上減額事由として考慮するのが相当である。そこで以上の事情を考慮し、被告に負担させるべき慰藉料としては原告らそれぞれにつき金七〇万円をもつて相当と認める。

六  むすび

以上のとおり判断されるから、原告らの本訴請求は、被告に対し、不法行為による損害賠償としてそれぞれ金二九七万三一七二円とこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四五年一一月二五日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、なお仮執行免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 松浦豊久 篠原勝美 三谷博司)

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